え?時々汚いおっさんがチラッと見える?たぶんスマホやパソコンがウイルスにやられて壊れてますので、いますぐ捨てて新しいのを買った方が良いです!
…さて、いくらでも画像加工ができてしまう今の時代、「写真」という言葉は「側室なしでの男系男子限定継承」と同じくらい、時代の変化による無理が生じている気がします。
写「真」なんて言い方を誰が始めたのか調べてみると、いくつか説がありますが、平賀源内が「カメラ・オブスクラ」という装置を「写真鏡」と呼んだのが元という説などが有力のようです。
このカメラ・オブスクラは、いわゆる「ピンホールカメラ」の原理で箱の中に像を映し、それをトレースする道具。それなら確かに「真」(リアルタイムの像)を「写す」道具なので、理にかなった名前だと思います。
あくまで装置名、どちらかと言えばカメラの訳語だったものが、「像を紙などに固定させた物の名称」として定着しまったんですね(そう考えると「写真機」という言葉は、二重にねじれている事になる!)。
一方、「photo」はラテン語(正しくは「ギリシャ語」のようです!すいません!)で「光」の意味なので、それが「真実そのままである」というニュアンスは元々希薄。英語では写真を「picture」とも呼ぶので、「絵」であればむしろ「意図や加工が含まれるのは当然」という感じがしますね。
実は日本語にも「光画」という、純粋に意味としてはこちらの方が正確そうな言葉がありますが(「究極超人あ〜る」という漫画では写真部の名前が「光画部」でした)、一般にはほとんど使われていません。
ここでちょっとショッキング(?)な話。実は、中国語でphotoは写真ではなく「照片」。めっちゃ冷めた、現実的な訳語ですね(笑)中国の人は、ちゃんと「わかって」たんだ。
「光の照射を固定した画像」にすぎないものに、「true」や「fact」的な意味を含めてしまった日本人。どちらが原因か結果かはわかりませんが、情報に対する日本人のナイーブさやリテラシーの度合いに大きく関わっているような気もしてなりません。